真鍮の止まり木

帰ってくるところ、飛び立つところ/初めての方はカテゴリーの「初めに」をどうぞ

負傷して受診

 今日久しぶりに大きな病院に行きました。3年ぶりぐらいになります。救急外来に入ったのは、生まれて始めてでした。実際大層な病気でも怪我でもなかったのですが、何日も症状が続いていたので気になって受診に行くことにしました。

 久しぶりに病院での診察を受けに行き、休日の外来というのはある種独特な雰囲気を持っているものだなぁと思いました。診察後静かで薄っすらと暗い待合室で、薬が準備されるのを座りながら待っているとき、なんだか妙な心地がしました。平日はあれほど人でごった返しているその空間に、私と連れ以外誰もいない。聞こえるのは廊下の清掃をする作業員の足音と鈍い機械音ばかりで、人間が生み出す喧騒なんてものはどこにもない。それが、私にはとても奇妙なことのように思われたのでした。

 ところで診断の方は特に心配するほどのことでもなく、滞りなく受診は終了しました。診断結果を知って、私よりも連れの方がほっとしていて、その姿に私は喜ばしいなぁと思ったりなどしていました。

 以上、楢ういのでした。

沈んでいる

 非常に精神が不安定になっています。原因は大体わかっているんですけれど、私は本当に人から強い言葉を向けられるのに慣れていません。家族や友人ならばいい、平気です。でも、赤の他人からきつい言葉を言われることに本当に耐性がないのです。本当なら、私は自身の誤読による誤解に気づき、次から繰り返さないように改善策を立て、反省をして終わればいいのです。そこでおしまいにしてしまえばいい。なのに、まだ気持ちが引きずられっぱなしになってしまうのです。相手の人が言った指摘は指摘として受け止めて、きつい言い方の部分は「そういう言い方は酷い」と思ったらいい、そこでおしまいにしていまえば済むことなんですよね。でも、まだ座りの悪い気持ちがしています。

 私は本当にTwitter含めたSNSでのやり取りに向いていないなぁと思います。「ほどよく気にしない」ということが、この歳になっても上手くできないのが課題ですね。精進したい。

ことばことば、愛して執着する

 詩を書いています。もう1年ほどずっと。

 辛いとき、誰にも辛いと言えなくて(それはあまりにも慟哭のようで、あまりにも甲高く、そしてまたあまりにも切実であるがゆえに)、言えなくて言えなくて言えなくて、そうして我慢していたら気持ちが弾けてしまったことがありました。重ねて運の悪いことに、それを不特定多数の人々に見られてしまい、結果多くの慰めと励ましをいただくこととなりました。涙でぐちゃぐちゃの顔を晒し続けていた私は、そのとき、

「ああ、私のこの怒りも悲しみも苦しみも、他者においそれと聞かせるべきものじゃなかったんだ」

 と思いました。「大丈夫だから」「泣かないで」と言われるたびに、私のその思いは強まっていきました。ありがたい、嬉しい、こんなに優しい言葉をかけてもらえることが、ただひたすらに嬉しい。だけど、どうしようもなく悲しいし恥ずかしいし惨めだ。情けないくらいにそう思っていました。だから、私は詩を書くことにしました。言葉にして、私を癒やしたかった、労いたかった、認めてあげたかった。だから、「詩とは何か」についての学問的教養を身に着けないままに、私は詩を書き始めました。それが去年の今頃のことでした。

 あれから一年が経ち、私はまだ詩を書いています。形式に沿わない、言葉のリズムも無秩序で、意味としての繋がりも全くないわけではないけれどもだいぶ薄い、そんな詩を書き続けています。

 「型に沿わないやり方」とは「型」を身に着けてからやるものであり、そうでないやり方は型破りでもなんでもなく単に型がないだけ、要は「型無し」に過ぎない。ジャンプで連載していたSOUL CATCHER(S)という漫画があるのですが、そこに登場する川和壬獅郎くんがそういうことを言っていました。その言葉を読んだとき、「私もまた主人公の神峰と同様、『型無し』に違いない、そういう生き方をしているなぁ」と思いました。

 私が書いているものは、強いていうならば「散文詩」に分類されるのだろう、とは思っています。そうやって自分の書いているものを分類してはいるけれど、それでも迷いは生まれます。なぜなら、「散文詩をやるためには、形式に則った韻文詩あるいは定型詩と呼ばれるものを踏まえたうえでやるべきなのではないか」、とどうしても思ってしまうからです。「型」を知らずに詩を書き始めた私は、確かに「型無し」です。そんな型無しの私が、型破りとも呼ぶべき「散文詩」を書いてよいのか、そんなふうに自分の書いたものを定義してよいのか、そのように言い切ってしまってよいのか、といつまでもいつまでも疑問に思ってしまうのです。

 一年間、ずっと迷ってきましたが、未だに答えは出ていません。だったらいっそ、定型詩の書き方を学んでみるのも手なんじゃないか、なんて次の一手を考えてみたりしています。そうすれば、自分で自分の作ったものに納得がいくようになるんじゃないか。そんな気がするからです。

 やりたいことが、まだまだ尽きません。

 

 

 愛犬の死からもうすぐ1ヶ月が経とうとしておりますが、私の方はぼちぼち生活を続けています。最近ではアニメ『ユーリ!!! on ICE』を見て、「愛とは最強だなぁ」と思ったりしています。私はポジティブで救済のある愛もネガティブで破滅に向かう愛もどちらもとても愛おしいのですけれど、ユーリ!!! on ICEはどちらかと言えば前者寄りの愛を描いていて、最近気持ちがおセンチだったのもあったせいか、最新話を視聴し終わって少し泣きそうになりました。7話で、「他ならぬ私を見ていて、私が信じられない私を、貴方だけは信じていて」と自らの「愛」をまっすぐに力強く伝えた勇利の姿が、まだ印象深く残っています。

ユーリ!!! on ICEは「愛」について余剰が広く取られたアニメだと思っているので、是非沢山の人に見てもらいたいですね。どうでもいいけど、カップリング組むならヴィク勇だと私は判断しました。現場からは以上です。楢ういのでした。

近況報告とか、不安定だとか

 お久しぶりです。楢ういのです。

 突然ですが、つい一週間ほど前に、愛犬が亡くなりました。13歳で、人間で考えたらもう随分とおじいちゃんだった、そんな子でした。

 私は、諸事情があって実家に居なかったので、その子に会えたのは、亡くなってから4日が経った後でした。真っ白な、けれど所々茶色かったり水色だったりする、遺骨に対面して、そうして、私は、ようやく、あの子が居ないのだと認めざるを得なくなりました。

 その後もまた体調を崩したりこころも不安定になったりして、まぁつまりガタガタだったわけですが、最近は、少し落ち着いてきただろう、そうであってほしいと思っています。正直わからないんですよね、あの子の行く先を不安に思っていなかった、無邪気な頃の自分が一体どんなふうに人生を生きていたのか。その再現がちっともできそうにない。

 遺骨、まだ残っているんですよ。おそらく、今週末に家族で庭に埋めることになるんでしょうけど、なんだか、まだどこか気持ちがふわふわと定まっていない感覚がしています。

 本当は、たくさん、言いたいこと、上手く言えなくてでも言いたいことが、たくさんあるんですよ、いっぱい、たくさん。でも、私は、どうやって、誰に、どういう言い方で言っていいのか、とわからなくなってしまうんです。

 あの子がいなくなったことを、多分もっと話したいはずなんですよ。悲しいよね、とか、忘れられないよね、とか、今でも泣きたくて泣きたくてしょうがないんだよ、とか。でも、音にはなってくれない。

 「あの子がいなくて、静かね」って言われて、「そうだね」としか言えなかったことが、今でも魚の小骨みたいに、喉に詰まっている感じがします。そのとき、本当に「そうだよね、寂しいよね」って鸚鵡みたいな返ししかできなかった。びっくりするくらい、家族の悲しみをなぞったような言葉しか、私には吐けなかった。そのときのことを考えてしまうのですが、そうすると、私、辛いこと、ちゃんと辛いって顔で、辛いって表情で、辛いって話し方で、語ってよかったんじゃないかって、そうやってみっともなく泣いて喚いてぐずって聞かん坊をやって、あの子を悼んでやるべきだったんじゃないかって、今でも思ってしまいます。でも、結局言いそびれてしまって、というかそもそも言う機会さえ失ってしまったので、ただ今はその蟠りをどうしてあやしてやろうとふわふわ思うだけなんですが。

 慰めてほしいわけじゃないし、何かそういう言葉を聞きたいわけでもないんです。ただ、ただ、心ここにあらずな今の状況がふわふわし過ぎている気がして、だからか、不安になってしまいます。

 ふわふわして、行き着くのはいつも「あの子のこと、大好きだったなぁ」なんて、独りよがりの思いばかりなんですよね、そういうのばかりが膨らんでしまう。

 「大切な存在の不在」を、どのようにしたら受け止めきれるんでしょう。時間が、本当に解決してくれるんでしょうか。全く、そういう答えが聞きたいんじゃないんですけど、そういうもんなんでしょうか。

 いつも以上に湿っぽい日記になりました。まぁ、これからもぼちぼちやっていきます。

毎日承認欲求と劣等感との付き合い方を考える

 わかりやすく何かを伝えるということが、とても苦手です。相手に理解してもらえるのだろうか、私の言い方は適切だろうか、伝えようとしている言葉は平易に書かれているのか。私はいつも惑ってしまいます。

 小さい頃から、何かを伝えようとしたとき、「私はこう思っている、こう考えている」と相手に訴えたときの反応はいつも似通っていました。バリエーション豊かに、様々な言い方で彩られた反応はどれも、大体一つの意味を指していました。

「わからない」。シンプルで犯し難いほど明瞭な答えが、それでした。「貴方の言っている意味はわからないが、しかしその言い方あるいは発想は非常に面白い」というのが大意の、無遠慮で無神経な、ありふれた返答でした。

 相手のリアクションを見るたびに、未成熟の私は思っていました。もしかして、ひょっとして、この世界に、私を理解してくれる人なんて、一人もいないんじゃないのかと。私の思いなんて誰にも届かないんじゃないのか、なんて今振り返るとやや「青い」考えのように思えますが、当時の私は切実に「自分」をそのように捉えていました。今なら絶対に言えるであろう「大丈夫だよ」の一言が、私にはどうしても言えなかったからです。どうしても、自分自身にそう言ってあげることができなかったから、私はずっとそうやって拗れていました。

 わかってくれる人なんていないんだ、という私の思いの本音がどこにあったのか。結局、誰かに私のことをわかって欲しかっただけでした。「わかるよ」という言葉が聞きたかったのです。幼い私は、他者からの無上の共感と理解を求めていたのでした。他者理解を得るためには、自己を表現するしかない。ただし、「相手が理解できるような形式で、書き方で、言い方で」。私は、自己表現という言葉についてくる後ろの条件が本当に嫌で嫌で仕方ありませんでした。頭では理解できても、心も身体もついていかないのが、「相手にわかるやり方」という条件でした。本当は条件を満たすため、足掻いたり藻掻いたりしたら良かったんだろうと思います。でも、甘くて青い私はそれを途中で放棄しました。だからますます、私の認識する自己と他者が認識する「私」がズレていくような錯覚に陥っていきました。「理解してもらえない」という気持ちが、確信に変わってゆく日々を、まるで為す術もないような顔をして過ごしていました。

 「理解されない」ということを恐れて、私は「私」をひた隠しにしてきました。世間一般には「腐女子」と呼ばれる存在であること、「オタク」であること、その他もろもろ。いろいろなことを、私は仲の良かった友達にすら言えませんでした。どうせ説明しても『わからない』で済まされてしまうのだろう、もっと悪ければ、否定され、侮蔑されてしまうのだろう、という諦念が消えませんでした。だからなおのこと私は秘め事を口にしないで、いつも戯れに道化じみた発言を繰り返すようになりました。外面の私が、快活にお喋りをするようになっていったのです。

 今よりも若く、そして向こう見ずで無知で生意気で、そして切実に生きていた私はずっとそんなふうに思っていました。自分のことを、「恥ずかしい存在」なのだと疑いもなく信じていたのです。人に言えないようなことを抱えている私は恥ずかしいのだと、あってはならない存在なのだと、そう思っていたのでした。

 こうやって古書のような匂いがする過去を思い返していると、私の劣等感や自己肯定感の低さとは結局他者に理解されないことが積み重なったせいなんじゃないのかな、という気がしてきます。そうして生まれた膿が、今でもグズグズと私を苛んでいる。だから、やっぱり苦しいままなんだろう、と思います。

 とはいえ、劣等感や自己肯定感の無さに死にたくなる日々が全く変化していないのかと言われれば決してそうではなく、今現在はそういう、「わかって欲しい、でもどうせわかってもらえないだろう」という捻くれた考え方は、少し変わってきたように感じています。詳細は省きますが、去年から始まった真新しい環境に身をおいた結果として、私は久方ぶりに「自信」を手に入れました。これが、私の基本的な考え方が変わった大きな理由です。「自分は自分で、それでいいのだ」と心から宣言できるようになった、要は「私は私の存在を疑いようもなく信じられる」と言えるようになったのでした。私は私の「核」に自信を持てるようになったのです。そのおかげか、前ほど醜い自分について思い悩むことは減りました。まぁ、あくまで体感としてですが。

 自分に自信が持てるようになった、自分だって捨てたもんじゃないなと思えるようになったとはいえ、それでも不安な夜は巡ってきます。劣等感も惨めさも「恥ずかしい存在としての自己」も、何度でも蘇ってきます。失敗と間違いを繰り返す自分を責めて、「苦しめ」と言ってくる。そういう夜も、やっぱりまだあります。育った根はなかなか深いものです。

 それでも、私は生きていこうと思います。他ならぬ私がそうしたいと思ったのだから、明確な理由も見通しの良い将来もないけれど、それでも生きていこうと思ったのだから、私はそうしようと思っています。

 本当に「超私的な日記」としか言いようがないほど脈絡も趣旨もないような話をしていましたが、ここらへんで終わります。

 

 

 あ、そういえば、最近ツイッターを再開しました。ここで名乗っているのと同じ名前「楢ういの」で男二人についての益もない話を延々としております。完全壁打ち目的だけど、飽きるまでは続けてみようかと思います。最近はHiGH&LOWの話ばかりしていますが(あんスタは通信制限がかかったせいで今回のイベントは全く追えていません)、もし見かけたらよろしくしてもらえると嬉しいです。楢ういのでした。

学生時代の友人と会って話をしてきました

 一昨日、友だちと会っていろんな話をしてきました。お互いの近況であったり、趣味のことであったり、とにかく、多くのことを互いに話して聞かせ合いました。

 長い長い会話のなかで、私たちは過去の話をたくさんしました。これからの話は、全体の割合からしてみれば、それほど話さなかったと思います。それは、お互いがお互いの過去を全く知らなかったからです。何をしていたのか、何が身の回りで起きたのか。私たちには知りようのないことでした。だから、たくさん話をしました。お互いの知らない過去を埋めるために、私たちは飽きることなく話し続けました。

 長く多量な話題のうちの一つとして、私は、人生で何度目かの「極めて私的な話」を彼女にしました。「極めて私的な話」とはつまり、私のセクシュアリティについて、性的指向について、私の趣味についてです。それらは全て私が大切に守ってきたものでした。彼女が受け止めてくれるのか、実際のところ私にはわかりませんでしたが、それでも私は彼女に話しました。不安は、少しもありませんでした。だって、伝えてもきっと「大丈夫」だと思っていたから。彼女なら「大丈夫」だと、私は話し出すその直前まで、そして話が終わってからも、ずっと思っていたのです。だから私は嘘偽りなく、自分の話をしました。

 話を聞いた彼女の反応は、実に「普通」でした。何の驚きもなく、何の動揺もないように、私には見えました。それを見とめてから、やはり私の判断は間違っていなかったのだと思いました。

 受け止めて欲しい、と思ったわけではありませんでした。ただ、「否定しないで欲しい、知ったかぶりをして私のことをわかろうとしないで欲しい」とだけ、私は望んでいました。かくして、私の望みはその通りになりました。彼女はいつも通りでした。今まで会って話をしてきたときと変わらない様子で、私の話に耳を傾けてくれました。それが私には、すごく、すごく嬉しいことでした。

 勿論、私は彼女がそういう人間ではないと確信していたし、信用もしていました。だから、彼女が私の話に過剰な反応をしなかったことに対しては、それほど驚きませんでした。でも、自分の話をして、改めて彼女が「そういう人ではない」と確認できたことで、ほっとしたし、安心した部分はきっとありました。ああ、彼女が好きだなぁと私はしみじみ思いました。

 またいつか――それはきっと遠くはないのだと思いますが――彼女に会える日が楽しみで仕方ありません。いろんな話をしたいと思います。

片付けたら、伽藍堂になった

 思い出したように、掃除をしていました。何もかもをすっかりと、そっくりと、綺麗にしていました。汚い雑巾を何度も絞って、汚い水を何度も洗い流して、クローゼットの中、テーブルの裏表、デスクの角、冷蔵庫の上部、いろんなところを拭いて綺麗にしていました。

 ところで、私は今週に引っ越しをします。もうずっと前から決めていたことでした。そうして、長かった独り暮らしが今、終わりを告げようとしています。何でしょうかね、この気持ちは。浮足立っている感覚がします。ひょっとすると、寂しいのかもしれません、多分、きっと。でも、あまりそうだと言える自信もないのです。だって、寂しいと思えるほど今住んでいる土地に対する強い愛着があるわけでもないですから。こちらでの生活は決して楽しいだけではありませんでしたし、辛いことも楽しいことも同程度あったし、つまらないこと遣る瀬無いこと、どうしたって届かないこと、たくさんの出来事がありましたから、そのどれもを全部取り出して来て比較検討するなんてちょっと無理があるんじゃないかと思います。

 どう言えばいいのか、無心で掃除をしていたときには決してこんなことを思わなかったのに、何もない、がらんとした部屋を見ていると、心臓の近くがざわざわする。そんな感覚があるのです。

 それはそれとして引っ越しの準備ですが、もとから衣服を除いて荷物はそれほど多くはなかったので、荷物をまとめる作業自体はそれほど苦でもなんでもありませんでした。ただ、片づけをやっていてひと段落したときに、「ああ、私はここからいなくなるんだな、消えてしまうんだな」とぼやっとした気持ちで、そう思いました。おかしな気分です、ずっと住んでいた私の家が、もうすぐそうじゃない場所へと移り変わってしまうなんて。そして私の知らない、知りようもないような誰かがこの部屋に新しく住むことになるなんて、本当に不思議なこころもちです。

 私は、遠い所でずっと独りで暮らしていました。それは私の心から望みでもありました。昔から、故郷から離れたくて仕方ありませんでした。あそこに戻りたくない、どこか遠い所へいきたい、誰も私のことなんて知らない場所へ行きたい、とそう思っていました。おとぎ話が好きだったんです、そういう、どこか知らない世界へ出かけていって、冒険をして、新しい出会いを得て、そして、幸せな結末、笑顔でハッピーエンドを迎えるような、そんなありきたりなおとぎ話が、私は好きでした。だからというわけではないですが、高校は隣の市の私立高へ、卒業後は地元から遠く離れた関東のとある大学へと、どんどんどんどん、故郷と呼ばれる地から離れていきました。そして、最後はもっと、ずっと遠くの地へと、出かけて行きました。おとぎ話のように、どこか遠い場所へ、行ったことも見たこともないような場所まで行って、私は私の生活を始めました。

 まぁ、そうは言っても私の人生はおとぎ話のように出来ているわけではなく、だからこそ私はまた地元へと舞い戻ろうとしています。遠い場所へと旅に出た主人公は故郷へ戻って「ハッピーエンド」を迎えたり、あるいは異国に安息の地を得て永住を決めたり、と何らかの決断をめでたしめでたしとなりますが、私はおとぎ話の主人公ではありません。ですから、いつ「ハッピーエンド」を迎えるのかは知りようがありませんし、そもそも「ハッピー」な「エンディング」が本当にやって来るのかすら、知りようがありません。正直な話、故郷に戻ったところで「幸せ」にはなれないと私はもう十分解っているので、すぐにまた違う場所へと旅立つものと思われます。

 夢物語のようにはならないのが、現実の、私たちが生きる人生なんじゃないかと思います。

 でも、私は、私の場合に限る話ですが、ともかく、生きてみようかな、と思っています。今いる場所に長く住んで、漠然とですが、そう思えるようになりました。新しい環境に身を置いて良かったことの一つは、こういうふうに「まぁとりあえず生きてみようか」と自然と思えるようになったことです。こんなことを言いつつ、精神が不安定になるとすぐに泣き言を言ってしまうことも多々あるのですが、ともかく「生きていこう」という、恐らくはかなり前向きなこの気持ちを持つことができたこと、そしてそれが今を生きている私の動力になっていることが、素直に喜ばしいです。

 これさえあれば生きていける、というものはいまだ見つかっていませんが、「まぁなんとかなるかな、生きていれば」という根拠も何もない自信を手に入れられたのは良かったと思っています。例え、ときには投げ出してしまいそうになり、またあるときには真逆の強迫観念で自らを奮い立たせるようなことがあるとしても、それでも、基本姿勢として「まぁとりあえず生きていこう」と思えている自分の状態が、私はそんなに嫌いではありません。「固い決意」、というほど大それたものではないこの思いですが、それでも大事に、大事にしていきたいです。

 あんスタのことを考えるとすぐに辛くなる毎日をおくっていますが、それでもぼちぼち生きていこうと思います。生きて、精一杯頭を使っていきたいですし、頑張って推しの人生について考えていきたいです。