真鍮の止まり木

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2022年1月22日 久しぶりですね

久しぶりにブログという形式でネットの大海に自分の文章を放り出したくなりました。なので、今やっています。

自分の文章はたいして上手くないということに、もうずっと悩み続けている。5年? 6年? 本当に長くしつこく悩みすぎである。

どうでもいいけれど、「である」という文末は、読む側からすると硬質に捉えられるのだろうか。最近時代小説や歴史学学術書をよく読んでいるので、口調がうつっているのかもしれない。いや、わからないけど、そんな気がする。

こういうふうに無駄な話をつらつらと重ねていくのは嫌いじゃない。普段の自分と近しい感じがするから。衒いがない文章を書けると、少しウキウキする。

 

前回の記事が2020年10月なので、もう1年以上記事を書いていなかったんだなと、なんだか懐かしささえ覚える。日記の文章はずっと書き続けていたのだけれど、今自分が書いている文章は、「公」の場に載せても大丈夫な文章なのかという判断が全くつかなくなり、そうすると精神にも身体にも無駄な力が入ってしまって、「文章を公開する」という行為が億劫になってしまった。だから、このブログもそうだし、別所でやっているSNSにも、自分の文章をあまり載せなくなってしまった。こういうのって、「良い」とか「悪い」とかそういう話ではないと思うのだけれど、「自分の文章は不特定多数が見るのに耐えうるものか、あるいは、不用意に他者を傷つけたり、人の尊厳を損なったりしないだろうか」みたいなことを熱心に考え込んでしまう。そうすると、「やはり公開しないでおくか」という判断を下しがちになる。ここには自分のなかの倫理的価値判断が絡んでいるので、そういう意味では結局「良い/悪い」の話になってしまうのかも。わからない、なんにもわからないと言い切ってしまいたい。愚図るのをやめたいと喚きたい気もするんだけど、そうやって児戯めいた振る舞いに耽溺するのもそれはそれでどうなんだろうなと、本当にこんなふうなことを考えてばかりいる。

ところで、今年の目標は「病院に行く」なので、これだけはきっちりしっかり果たしたいと思っている。一昨年も言ったはずだけど、「自分を労る」はずっと大切にしていきたい。