真鍮の止まり木

帰ってくるところ、飛び立つところ/初めての方はカテゴリーの「初めに」をどうぞ

2020年10月10日

タイトルをつけるのが面倒になったら日付をつけたら良いのだと学んだ。いつ学んだんだったか、もう思い出せない。「もうそれでもいいか」と割り切れるだけの年月が経ったことだけはたしかだ。

つまらない文章でも残せるだけマシなんじゃないだろうかと、ポジティブなときの自分はそう判断したりする。日によって感情も態度も気分も変わってしまうが、それでも自己の同一性を信じていられるというのは、なんだか不思議だ。私をやってみたり、俺をやってみたりするが、どれだって自分なのだと承知している。なぜ「わかる」と言えるのだろうか。益もない疑問なら、いくらでも並べられるのだが、残念ながら本当に役に立たないのだ。

ここ最近はずっと本を読んだり映画を見たりしている。平日は仕事に勤しんでいる。文章を書かなくてはと思いながらも、たいして書いていない。良くないんだが、しかし気分が向いたときにしか文章が書けない。ムラッ気がある。

半年ほど、コロナ禍でなんとか自分の暮らしを保とうと足掻いてきた。思った以上に自分は参っているのかもしれないと思い始めてきた。自分の精神状態について重々理解した気でいたが、そうでもないのかもしれない。

いつかのように酷い状態に陥らないためにも、定期的な点検が必要だ。気づかないうちに限界が近づいている、というのもあり得る話なのだから。大切にしたい人は何人かいて、そのなかにちゃんと自分も含めなくては、意識して自分の存在を確認していかなくては、と焦っている。

そうだ、この気持ちは焦りなんだろうな。上手く言葉を操ることができず、言わなくては示さなくてはならないと気持ちばかりが急いてしまう。無駄に焦っている。

とりあえず、まずは落ち着きたい。そのために、久しぶりに文章を書いてみる。取り繕うだけの余裕もないから、浮かぶままに文章を紡いで見る。

「とりあえず」を繰り返し口ずさみながら、書き残してみる。