真鍮の止まり木

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馬鹿でも良い格好しいでも何でも良いから生活続けようぜ

 ぱかぱか煙草を吸ったら頭がすっと冷えて、その瞬間だけは冷静な自分、のような存在になれている気がする。

 

 「頼る人を見つけろ」「他人のことばかり思いやりすぎるな」と、大雑把にはそういうことを友人から言われた。有り難い忠告と提案をもらった。

 人に甘えたいんですよね、駄目でみっともない自分を曝け出して、そして、許容されたい。強い欲求がある。けれど同時に、「もし自己を余すところなく曝け出したとして、その先に待つのが否定と拒絶であったら、私はどうしたら良いのだろうか」と悪い想定をしてしまう。大切な人達から否定されることに怯える。

 「重いこと」「じめじめしていること」「みっともないこと」を人から指摘されるのが、怖い、嫌だ。小心者で、できる限り自分が傷つきたくないから他者も出来得る限りで傷つけないようにしようとしている。そんなやり方は、保身と打算から来る「防衛術」でしかない。そういう理由で行う行動を、私は、汚いものだ、と考えている。

 こういう考え方こそ、唾棄すべきなのかもしれない。

 今のままで受け入れられたいという甘えをあやしてやりながら、今の自分から変わりたいのだ、という痛ましい夢を持ち続ける。そうやって生きていくしかないのだ、と今は思う。

先生僕を*してくれ

 僕にとってのささやかな「祈り」とは、先生の自室で毎朝目覚めることであった。古書の匂いに満ちた先生の寝具に身を沈め、安心の中で守られているのだと実感できるとき、確かに僕は生きているのだと知った。

 生きている、それゆえ私は此処に居てもいい。何の取り柄が無くとも、罪深い存在であろうとも。誰かの人生を損ねてしまっていたとしても。

 快いルーティンを思い返す度に、始まりの記憶が断片的に蘇る。割れたステンドグラスが床一面に散らばっている様を想像する。乱反射した光が、僕を付け狙っているかのようだ。

 清々しい明け方には必ず、深い悲しみの夜が付随する。僕にも、そんな夜があった。ああ、生涯忘れられないだろう、あの夜のことを。独り泣き濡れて、己の存在の疎ましさに耐えきれず、私は何度も何度も喉元を掻き毟った。爪先は赤黒い皮膚で汚れていた。それなのに先生は、僕の汚い手に、何も言わずに触れてくれた。

「君は君の器が解らないのだね」

「僕の器とは、一体何なのでしょうか」

「それは、『君』という名で型どられた大衆化された自己のことだ。『君』という形骸の記号的意味合いのことだ」

「よく、判りません」

「大丈夫、何の心配も要らないよ。私が、全て教えよう」

 隙間からするりと入り込む知性の声を僕の身体はすんなりと受け入れた。そして大きく震えた。ああ、思いを傾ける「偶像」は、ここに在ったのだ。僕は完全に理解し、触れてきた先生の手を、ぎゅっと強く握り締めた。

「お願いします」

 それは必然性と呼ぶべき帰結であったと断言できる。僕と先生は確約を交わしたのだ。先生は僕に、「何者」かになる方法を教授してくれると言った。そんなことを言ってくれたのは、彼だけだった。その日、先生は僕にとっての唯一無二の人となったのだ。

お願いだからこんな俺のことは見ないでくれ

 資格がなきゃ、泣いたらダメだよ、と優しい私が諭す。私の事、よくわかってるからだ。

 ボタボタと溢れる、溢れる。きっかけなんて、何でも良かったの。自罰がやれるのなら、何だって、どうだって良かった。

 沢山の「駄目な所」が、六畳一間にばら撒かれている。全部私だから、丁寧に拾って、泣いて、丸めて、声を上げて、全部捨ててしまおうね。

 電源の入っていない冷蔵庫みたい。ひんやりして、腐った汚物の臭いがする。存在が、汚れているからかな。通知表も、辞表も、遺書も、全部同じ臭いがする。

 だって、縫い目が裂けてしまったから。だからね、この涙も理由なんて単純で明白なんだと思うよ。

 架空の男が窓辺に立って、暮れなずむ空を見つめている。横顔が死神のようで、もっともっとと泣き縋りたくなる。駄目なのにね、彼にはもう、「唯一」が居るんだよ。

 私が隠れてしまえるような、そんな隙間はこの世の何処にあるのかな。行きたい世界はきっと、此処よりももっと白い所なんだ。白くて、温くて、怠い場所が、この世の何処かにはあるのかなぁ、そうなのかなぁ。

 彼は空から目を離さない。私の方など、見もしない。そうだね、識っている。彼はもうずっと、私にとっての「唯一」だった。

 唯一、Only One、絶対。どう呼んでも、存在の幅は変わらない。彼が私の世界の良心。私の中で、最も透明な存在。

 

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 やっぱ吐き出すしかなかったので。これが私なりの「子守唄」ですし、明日には立ち直ります。

心がぐちゃぐちゃなままで

 会社の楽しくない飲み会で、楽しい振りをしているときの自分が滑稽で泣きたくなる。惨めな気持ちになる。恋もセックスも、彼氏も彼女も、気軽に提供できる話題としてテーブルに並べられて振る舞われる。

「美味しいね」

 そう言わないとやっていけない気持ちがした。そう思ってしまったこと、そう見えるようにしたこと、全てがみっともなくて、悲しくなった。

 他人の彼氏彼女を可愛いのか、かっこいいのか品評していく。その空間が堪らなく煩わしくて、ああ早く煙草が吸いたいなと思った。充満する煙草のにおいが私の神経を撫で擦り、張り詰めた精神の痛みを和らげてくれる瞬間を何度も夢想した。

 ただ眠りたい。ただ忘れたい。

人類を、あるいは世界の白を信じさせてくれ

神山季雄という男。

 

 神山季雄という男を知ってくれないか。私が、生涯かけて信奉すると誓った男の名前を、どうか記憶に刻んでいってくれないか。

 彼は「善良」が形を持って顕現した存在だ。

 彼の柔らかい髪が春を待つ寒風に揺れるとき、彼の人柄のように心地よい整髪の匂いが香ってくるとき、私はひとときの安穏を手にする。安穏とは私にはひとときだけでよい。彼の生存が世界の喜びであるかのように思える瞬間が、私にとっての安穏だから。

 君は語る、茫茫とした夢を。どこか宙に浮いたような夢物語に耳を傾けていると、私は君への愛で胸が満たされる。君が抱く夢の何処でも良いから、私の居場所をつくってくれないだろうかと願う。

「明日空が晴れて、お前が隣に居て、ご飯が旨くて、部屋に差し込む日差しが暖かくて。明日が、そんな日だったら良いのになと思うよ。そしてそんな明日が未来永劫続いてくれないだろうかと、俺は密かに願うよ」

 君が語る優しい言葉に、乾いた瞳が熱くなる。涙は一滴も出やしないが、私は確かに感無量の心情でいる。君が君で居る限りにおいて、私は世界に絶望したりはしないと断言するだろう。

「せんせ」

 私を無邪気に呼ぶ声に含有される無垢と善良の、なんと素晴らしい塩梅であることか。感激は幾度となく去来して、幾度となく私の肉体を温める。彼の存在は、凍えた身体を暖めるハニーレモネードのようだ。

 神山とは、「善良」な男を指す名前だ。私は彼の親友であり、生涯の友である。

 私は死の間際に至るまで、彼の名前を忘れない。そして、命尽きるそのときまで、彼の存在の全てを肯定し、彼が生きていることを望外の喜びとする。

美しい思い人を見つめて

今日、Netflixで「CAROL」を見た。女性同士の愛を描いた作品だった。人と人が、性の別なく、心が惹かれるままに愛し合い、求め合うその様がただ美しく、美しいというそれだけで、なんだかひどく泣けてしまった。

車のウィンドウ越しに、相手の姿を探す。そして、相手を見つけたら、もう視線を外すことなどできなくなる。互いが互いを求めているということが伝わってくるシーンだった。

 

日常の瑣末な出来事に気をとられ、選び取るべき夢も、朝の祈りにも似た、ささやかな望みすら零れていってしまう。自らを誤魔化して、本当の願いも希求も霞んでしまって。そういう生き方をしたかったわけじゃないのに。

人生のことを考える。来年、5年後、10年後の自分について考える。これでいいのか、と問いかける。

主人公の一人であるテレーズを見ていて、私は自分の人生について考えていた。

貴方のことが知りたい

昨日、知り合いとお酒を飲んで、美味しいものを食べてきた。

嬉しかった。楽しかった。

美味しいお酒と、美味しい食べ物がテーブルにずらりと並んでいる。

それを見ているのも嬉しかった。

家に帰って、「ああ、あの楽しい空間で、私は自分の話ばかりしてしまったようだ。もっと、相手のいろんな話に耳を傾けたかった」と思った。

相手とは、それほど親しい間柄にあるわけではない。でも、相手の誠実さや人としての柔らかさを、私は知っている。

だからこそ、もっと「対話」がしてみたかったなぁと思った。もっと相手の趣味や、思想や、仕事のスタンス、人生のスタンスなんかを、聞いてみればよかった。

お酒を飲んで、楽しい気分になると、どうしても自分の話ばかりしてしまいたがる。それだけでは駄目で、私には、相手の話を膨らませるように会話を運んでいく技術が必要だ。

そうやって、相手のことをもっと知っていけたら良いのに。

浮かれ気分のまま、帰路に着く。自宅の途中にあるコンビニで、人生で初めてタバコとライターを買った。自宅には灰皿がなくて、結局タバコは吸えていないままだ。

タバコは、ずっと買ってみたかったものの一つだった。なぜか私は、タバコを買うのはハードルが高いと思い込んでいた。けれど、実際に購入してみてわかった。タバコを買うというのは、「なんだ、こんなものなのか」と拍子抜けする程に簡単な行為だった。

タバコを買ってみたかった。そして、「何かあったとき、私には縋るものがある」という気持ちを、手に入れたかった。その思いは、今満たされている。

明日もきっと大丈夫なのだと思える。

昨日は本当に楽しい日だった。一日の最後を「楽しい!」という気分で過ごすことができて、良かった。