真鍮の止まり木

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2019年9月15日 外側のポジ、内側のネガ

ネガかポジかって言われたらネガなので割とすぐに自分の身体や精神の限界なんかを考えて身動きが取れなくなってしまうみたいなことを週に何回かやらかしたりする。

性格の傾向の話だ。

 

どちらかと言えばネガ寄りだからポジな人とは合わないのかと問われると、必ずしもそうではないと答える。ポジであるということは、ネガであることと同じくらいに美徳であり、素晴らしい気質だと思う。ただ、私にとってのポジとは「外皮」であり、自分の内面を押し隠すベールのようだと思っている。フォーマルな服装と言ってもいいかもしれない。

玄関を抜けて、陽の満ちる外へと足を踏み出し、会社へと向かう。出勤し、デスクに腰掛けるときの顔=「外面」が、たぶんきっと、私にとっての「ポジ」だ。

フォーマルに整えている自分は、そんなに好きじゃない。キャラクタライズしているという自覚があるので、余計に好きじゃないと思ってしまうところがある。

フォーマルな服装は疲れる。だから、うちの中ではそういう格好はしないし、ラフな服装でぽやっとしている方が気楽だ。

こうやって話した内容って、ややこしい気持ち由来なんだろうなと思う。ネガでいる方が楽だけれど、いつまでもネガだと気が滅入ってしまって、希死念慮と闘えなくなってしまう。

必要なときに必要な分だけ、手にしておきたくなる。それはきっと、ネガとポジ、どちらにも言えることなのかもしれない。

これはただの、用法用量の話に過ぎない。