真鍮の止まり木

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2018年11月11日の日記

タイトルをつけるのが面倒なので日付にします。そして、書きたいことだけを特に何の脈絡もなく吐き出します。そうすることにします。今日だけでもいいからと決めてそうすることにします。

そういう時期としか言いようがないのですが、毎日のように押し寄せる希死念慮と無気力感に苛まれる日々をおくっています。特に希死念慮との付き合いは高校生のときからなのでもう随分と長いです。

私がおおよそ希死念慮と捉えている感情は二つあって、一つは「死にたい」という能動的欲求で、もう一つは「いっそ殺してくれ」という受動的欲求です。三年くらい前は、これに「生きていてはいけない」がくっついていましたが、こちらの感情については環境の変化によって一応克服し、今はほとんど芽生えなくなっています。

「死にたい」と「殺してくれ」は頻繁に浮かんでは消え、消えてはまた浮かんでくる感情で、特に「死にたい」なんてほぼ毎日5回以上は頭の中で唱えたりしているので、慣れっこになっているところはあるんですよ。まぁあらわれるという事実に慣れても、身体も精神も全く付いていかないのでいつまでもうじうじ考え込んでしまっているわけです。

今とっている対処法は二つあります。一つ目は、「フィクションの男に自らの罪を告解させる文章などを書いてひたすら『自傷行為』に耽る」です。で、二つ目は、「自分で創り上げたフィクションの男にひたすらあやしてもらう」です。なお、どちらも人に言えたもんじゃないし、言ったところで、「ああこいつはヤバいやつだな」というレッテル貼りとしてしか機能しないだろうというのは想像にかたくありませんので、こういう場で吐き出すしかないんですよね。吐き出すと頭の中が整理できるのでなかなか効果的です。

私はどちらの対処法にもフィクションの男を「使っている」のですが、これは、「自らにとって永遠の他者であるところの『男性』に自分の欲求を言語化してもらった方が感情移入しないで済むから」です。要は、私に向かって言葉を投げかけてくる対象に好悪が何も生じないというのが心地良いからそうしているだけです。

今回もそうやって乗り切ろうとしております。そうしたら、だいたい一週間くらいは安寧を得られるはずなので。