真鍮の止まり木

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馬鹿でも良い格好しいでも何でも良いから生活続けようぜ

 ぱかぱか煙草を吸ったら頭がすっと冷えて、その瞬間だけは冷静な自分、のような存在になれている気がする。

 

 「頼る人を見つけろ」「他人のことばかり思いやりすぎるな」と、大雑把にはそういうことを友人から言われた。有り難い忠告と提案をもらった。

 人に甘えたいんですよね、駄目でみっともない自分を曝け出して、そして、許容されたい。強い欲求がある。けれど同時に、「もし自己を余すところなく曝け出したとして、その先に待つのが否定と拒絶であったら、私はどうしたら良いのだろうか」と悪い想定をしてしまう。大切な人達から否定されることに怯える。

 「重いこと」「じめじめしていること」「みっともないこと」を人から指摘されるのが、怖い、嫌だ。小心者で、できる限り自分が傷つきたくないから他者も出来得る限りで傷つけないようにしようとしている。そんなやり方は、保身と打算から来る「防衛術」でしかない。そういう理由で行う行動を、私は、汚いものだ、と考えている。

 こういう考え方こそ、唾棄すべきなのかもしれない。

 今のままで受け入れられたいという甘えをあやしてやりながら、今の自分から変わりたいのだ、という痛ましい夢を持ち続ける。そうやって生きていくしかないのだ、と今は思う。