真鍮の止まり木

帰ってくるところ、飛び立つところ/初めての方はカテゴリーの「初めに」をどうぞ

嫉妬のコントロールを目指す

 嫉妬心、というものがあります。多分一生かかっても逃げ出せない悪夢みたいなものなんですが、それに私はずっと追われています。嫉妬はその欠片を少し抱えるだけでも煩わしいし、段々と抱えている己がみっともなく思えて来たりしてしまいます。だから、嫉妬していると自覚すると、余計に落ち込んだり卑屈に拍車がかかったりしてしまいます。なので、嫉妬なんてあんまり喜ばしい感情ではないなとどうしても思ったりもします。

 どうしようもなく嫉妬する。そういうときは往々にしてあります。例えば、友達の素敵な作品を見たとき。ああ、いいなぁ、いいなぁ。「いいなぁ」がこぽこぽと湧いてくるということはつまり、ちりちりした妬ましさがやって来るということです。ああ、今私は嫌な人間になっているなぁと苦笑したくなります。

 ただ、嫉妬する自分を見つめたときに、また別の感情も呼び起こされていることに気が付きます。

 この人はこんなことができるんだ、すごい。なんてきらきらした作品なんだろう。すごい、すごいなぁ。純粋な尊敬を喚起させる言葉が、ちかちかと脳裏を照らすのです。

 その環状の奔流を表すのなら、「羨望」が最も近い表現になるのだろうと思います。そうやって相手の作品に憧れて、感動して、それでやっぱり、「私にもこんな眩しい作品をつくれるだろうか」という可能性の模索で終了する。それが私の嫉妬が生まれてからの一連の流れであるように思われます。

 そう、結局私は、上手くなくても短くても未完成でも「失敗作」でも、なんでもいいから創作がしたいんですよね。それがもう偽らざる本音です。思いをかたちにしたい。これこそが、いつも行き着く気持ちです。これはきっと「執着」と呼んでも差し支えないはずです。ちょっと矛先が変われば、容易に「狂喜」へと変貌するたぐいの、そういう強い思いに向かうのです。

 上手くはない。それは知っています。けれども、何か創作をしたくなって、誰かの素敵な作品に巡り合うたびに嫉妬して醜くなって、憧れて胸焦がして、結局「私は書きたい、創作をしたい」という気持ちへ行き着く。どうしても、そうなってしまうものです。単純に、コアの再確認を何度も何度もやっているだけです。こうやって私は一生かけて、「創作」という行為に執着して生きていくのかもしれない。そう思っています。

 とはいえ嫉妬心は辛い。特に自覚したときなんて目も当てられないくらいです。どろどろした感情を、よりにもよって友達に向けるだなんて、なんて自分は卑しいんだろうか、と絵に描いたような卑屈で自分の首を締めてしまうことが辛いし、きついです。

 辛いしきついのだから、そういう思いからは距離を置きたいものです。だからこそ、嫉妬への向き合い方・付き合い方をどうするのかということを、もう少し練っていきたいなと思っています。

 ところで私は生活面での今年の目標を「外出・遠出の回数を増やす」にしているのですが、これには「外に出ていき見聞を広げることで、他者と自己の相対化を進め、それにより自意識に拘泥することで生まれる諸々の『しがらみ』から自己を解放する」のが狙いだったりします。

 私は、外に出ていき、いろんな刺激を受け取ることで嫉妬との付き合い方がもう少し上手になれるんじゃないかなと期待しています。そうして、もう少し気楽に創作という行為ができるようになりたいなぁと思っています。いつも憧れと執着が強すぎてから回ってしまうことが多いので。以上楢ういのでした。