真鍮の止まり木

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淡いか甘酸っぱいか

事あるごとに反芻するのは、「学童」という場所だった。

あそこは、幼い私が好きな女の子と一緒に遊んだ場所であり、一人遊びを学んだ場所でもある。

あそこには、内側の「私」がいる。いつも、あらゆる出来事の「観客」として、そこにいる。

今でも夢に見る所。時々、恐ろしい気持ちが強まると、そこに帰りたいと思うようになる。戯言だ。でも、あそこには、私が夢見る物語性があるのかもしれないなどと考えてしまう。

 

感傷に浸りすぎていると、めちゃくちゃナルシズムの発露をやってる感覚になってくるので、だいぶ恥ずかしい。

雑感2018年4月21日

煙草吸ってるんで、煙草の話をします。

まぁ、去年くらいだったかな?から煙草を吸い始めたんですけど、今でも別にハマっているという感覚はないんですよね。いつでも「まぁ明日吸えなくなってもいっかな」くらいの気持ちでやってます。

ほんと、週に1,2本ずつしか吸わない。しかも週末に。

友人には、「お前の吸い方はわけがわからん」と言われるんですが、こういう吸い方になるのは、私自身がめちゃくちゃ「依存」というものに、強烈な忌避感を持っているせいだと思う。

何でもそうだけど、「これが無いと生きていけない」というものをつくるのが下手なんですよ。下手なのは勿論だし、「そういうのがあると怖いし、生きていかなくちゃならない理由になってしまうから避けたい」と考えてしまう。

もう少し量を増やしてもいいかなとは思っている。家に煙草の箱がたくさんあって、処分に困ってるしな、さっさと片付けよう。(※煙草を持ち歩かないせいで、外で酒を飲むたびに煙草の箱を買うせいで溜まってます)

活動記録2018年4月16日

最近の出来事

・胃腸の病気にかかり(微熱により1日ほど休み)、1週間ほどものがまともに食えなくなった

・その後再び熱を出す。更に再び胃腸をぶっ壊し、精神状態が悪化する

・全ての進捗が死ぬ

 

4月に幸せになる、と言ったのは達成できなくなりそうだったんですけども、唐突に洋画にハマり、唐突に男二人の関係性を追求するShipperとしての感覚を取り戻し、人生に陽光が差し込み始めました。今、局地的には確実に幸せになっています。

 

ただ、体調が悪すぎるので、いい加減になんとかせなならんなとは思っています。「なんとか」というのが何を意味するのかについては、よくわかっています。

考えていることリスト①

※備忘録的に残す

 

・創作表現がステレオタイプや社会的スティグマを強化しうるのか

→その可能性はある、と判断するが、明確な論拠は未構築。

 

・モラリティへの関心が高い人、あるいは道徳的な人は非常に巧みにインモラルな作品を描くことができる、というのは説得力を持った言説と言えるか。言える場合、同じロジックを用いて、「富める者は貧困問題を巧みに描写することができる」と言えるか

→前半部分については、そうだと「言える」。そもそもインモラルな作品を創る際には、「何がインモラルな行為であると言えるか」を理解しておく必要があるため。それは、「何がモラルある行為と言えるか」と表裏一体の問いでもある。

 後半部分に関しては、論理の飛躍を感じる。

 

 なんで私がこれほど「インモラリティとは何か」、「モラリティとは何か」について考えているのかというと、簡単に言えば、私がインモラルな創作作品が好みだからです。そういった作品を好むからこそ、「自分の『好き』が誰かを傷つけはしないか」ということに対して、常に注意を払っておきたいのです。

変化の季節か

「幸せに手を伸ばせ」と激励されたら、そりゃもう私は立ち上がるしかないでしょう。春が来た、春が。

新しい出来事がやってくる。信じましょう、始めましょう。

そういう心持ちになったので、やってみます。

 

愛は常に能動的である。

愛したいなら、私が、自ら進んでそうならないといけないんだよな。

君を愛しているから明け渡した

神山季雄という男は私が考えた架空の男です。

キャラメイクするときは私は大体「このキャラは何の『イデア』か」を決めるようにしているんですが、彼は「許容・受容」の「イデア」として創作した男です。

ここで言っている「イデア」とは、キャラメイクをする上での「理想」を意味しており、私は大体、それぞれのキャラの「イデア」を指定したうえでそのキャラの生い立ち性格好み生活環境などを考えるようにしています。

 

神山ちゃんは、自分の好みの要素全振りで創った男なので、どうしても「好き」の気持ちが先行してしまって上手く説明しきれない。

そのうち、またブログで神山ちゃん×先生の小話を書きます。そこで二人の関係性を記述するようにします。

 

そろそろBLの話がしたいのだけれど、ここ何ヶ月もずっと脳内で創造した男と男の関係性にしか萌えを見い出せず、だから今何らかのBLについて語ろうと思うと、自ずと架空の男の話になるんですよね。

しかし、自分が生み出した架空の男と男でBL萌えやるの相当楽しいので、かなり長く続けていられるな。正直、ニコチンより依存度たけぇなって思うよ。

好ましいと望ましいの違い、もしくは現実と理想の溝

 「好きなタイプは?」と聞かれる。大体は、その質問の本意とは、「好きな異性のタイプは?」だ。

 詳しく答えるならば、私はこう答える。

「好きになりたいタイプは、男女問わず倫理観が合う人。が実際に私が特別に好きになる相手は、女性ならば仕事が出来る人、テキパキとタスクを片付ける人。過度に私を褒めそやすことは無いが、絶妙なタイミングで私の頑張りと成果を褒めてくれる人。イジり方が上手い人。そんな人に惚れる。男性ならば、顔と体型と声が好みな人、あんまり怖くない人が好き」

 いつも、ここまで言うことは無い。なぜなら、誰も「両性」に対する好みを聞きたいわけではないから。相手が知りたがっているのは、大体が私から見て「異性」に位置する人の「タイプ」だから。

 自分の好みなタイプの人ですら、説明するのが億劫な気分になる。私にとっては、留保に留保を重ねて、やっと説明できる話題なのだが、どうも相手にとっては「気楽な話題」としか捉えられていないようだ。

 

 他者とは永遠にわかり合えない。それはもう知っている。知っているが、それでも尚、私は他者とわかり合いたいのだと思う。相手と私の、重なる部分と重ならない部分の「範囲」を知りたいのだと思う。私のことを完全にわかってもらうことは不可能だ。同様に、私が誰かのことを完全に理解できることもまた、不可能だろう。

 それでも、私は、私のわかる範囲でいいから、相手のことを知りたいと思う。私ではない誰かのことを、理解し合いたいのだと思う。だって私は、「愛」を手にしたいから。「愛」のためには、相互理解、相互交渉を目的としたコミュニケーションが不可欠だから。