真鍮の止まり木

帰ってくるところ、飛び立つところ/初めての方はカテゴリーの「初めに」をどうぞ

近況報告とか、不安定だとか

 お久しぶりです。楢ういのです。

 突然ですが、つい一週間ほど前に、愛犬が亡くなりました。13歳で、人間で考えたらもう随分とおじいちゃんだった、そんな子でした。

 私は、諸事情があって実家に居なかったので、その子に会えたのは、亡くなってから4日が経った後でした。真っ白な、けれど所々茶色かったり水色だったりする、遺骨に対面して、そうして、私は、ようやく、あの子が居ないのだと認めざるを得なくなりました。

 その後もまた体調を崩したりこころも不安定になったりして、まぁつまりガタガタだったわけですが、最近は、少し落ち着いてきただろう、そうであってほしいと思っています。正直わからないんですよね、あの子の行く先を不安に思っていなかった、無邪気な頃の自分が一体どんなふうに人生を生きていたのか。その再現がちっともできそうにない。

 遺骨、まだ残っているんですよ。おそらく、今週末に家族で庭に埋めることになるんでしょうけど、なんだか、まだどこか気持ちがふわふわと定まっていない感覚がしています。

 本当は、たくさん、言いたいこと、上手く言えなくてでも言いたいことが、たくさんあるんですよ、いっぱい、たくさん。でも、私は、どうやって、誰に、どういう言い方で言っていいのか、とわからなくなってしまうんです。

 あの子がいなくなったことを、多分もっと話したいはずなんですよ。悲しいよね、とか、忘れられないよね、とか、今でも泣きたくて泣きたくてしょうがないんだよ、とか。でも、音にはなってくれない。

 「あの子がいなくて、静かね」って言われて、「そうだね」としか言えなかったことが、今でも魚の小骨みたいに、喉に詰まっている感じがします。そのとき、本当に「そうだよね、寂しいよね」って鸚鵡みたいな返ししかできなかった。びっくりするくらい、家族の悲しみをなぞったような言葉しか、私には吐けなかった。そのときのことを考えてしまうのですが、そうすると、私、辛いこと、ちゃんと辛いって顔で、辛いって表情で、辛いって話し方で、語ってよかったんじゃないかって、そうやってみっともなく泣いて喚いてぐずって聞かん坊をやって、あの子を悼んでやるべきだったんじゃないかって、今でも思ってしまいます。でも、結局言いそびれてしまって、というかそもそも言う機会さえ失ってしまったので、ただ今はその蟠りをどうしてあやしてやろうとふわふわ思うだけなんですが。

 慰めてほしいわけじゃないし、何かそういう言葉を聞きたいわけでもないんです。ただ、ただ、心ここにあらずな今の状況がふわふわし過ぎている気がして、だからか、不安になってしまいます。

 ふわふわして、行き着くのはいつも「あの子のこと、大好きだったなぁ」なんて、独りよがりの思いばかりなんですよね、そういうのばかりが膨らんでしまう。

 「大切な存在の不在」を、どのようにしたら受け止めきれるんでしょう。時間が、本当に解決してくれるんでしょうか。全く、そういう答えが聞きたいんじゃないんですけど、そういうもんなんでしょうか。

 いつも以上に湿っぽい日記になりました。まぁ、これからもぼちぼちやっていきます。

毎日承認欲求と劣等感との付き合い方を考える

 わかりやすく何かを伝えるということが、とても苦手です。相手に理解してもらえるのだろうか、私の言い方は適切だろうか、伝えようとしている言葉は平易に書かれているのか。私はいつも惑ってしまいます。

 小さい頃から、何かを伝えようとしたとき、「私はこう思っている、こう考えている」と相手に訴えたときの反応はいつも似通っていました。バリエーション豊かに、様々な言い方で彩られた反応はどれも、大体一つの意味を指していました。

「わからない」。シンプルで犯し難いほど明瞭な答えが、それでした。「貴方の言っている意味はわからないが、しかしその言い方あるいは発想は非常に面白い」というのが大意の、無遠慮で無神経な、ありふれた返答でした。

 相手のリアクションを見るたびに、未成熟の私は思っていました。もしかして、ひょっとして、この世界に、私を理解してくれる人なんて、一人もいないんじゃないのかと。私の思いなんて誰にも届かないんじゃないのか、なんて今振り返るとやや「青い」考えのように思えますが、当時の私は切実に「自分」をそのように捉えていました。今なら絶対に言えるであろう「大丈夫だよ」の一言が、私にはどうしても言えなかったからです。どうしても、自分自身にそう言ってあげることができなかったから、私はずっとそうやって拗れていました。

 わかってくれる人なんていないんだ、という私の思いの本音がどこにあったのか。結局、誰かに私のことをわかって欲しかっただけでした。「わかるよ」という言葉が聞きたかったのです。幼い私は、他者からの無上の共感と理解を求めていたのでした。他者理解を得るためには、自己を表現するしかない。ただし、「相手が理解できるような形式で、書き方で、言い方で」。私は、自己表現という言葉についてくる後ろの条件が本当に嫌で嫌で仕方ありませんでした。頭では理解できても、心も身体もついていかないのが、「相手にわかるやり方」という条件でした。本当は条件を満たすため、足掻いたり藻掻いたりしたら良かったんだろうと思います。でも、甘くて青い私はそれを途中で放棄しました。だからますます、私の認識する自己と他者が認識する「私」がズレていくような錯覚に陥っていきました。「理解してもらえない」という気持ちが、確信に変わってゆく日々を、まるで為す術もないような顔をして過ごしていました。

 「理解されない」ということを恐れて、私は「私」をひた隠しにしてきました。世間一般には「腐女子」と呼ばれる存在であること、「オタク」であること、その他もろもろ。いろいろなことを、私は仲の良かった友達にすら言えませんでした。どうせ説明しても『わからない』で済まされてしまうのだろう、もっと悪ければ、否定され、侮蔑されてしまうのだろう、という諦念が消えませんでした。だからなおのこと私は秘め事を口にしないで、いつも戯れに道化じみた発言を繰り返すようになりました。外面の私が、快活にお喋りをするようになっていったのです。

 今よりも若く、そして向こう見ずで無知で生意気で、そして切実に生きていた私はずっとそんなふうに思っていました。自分のことを、「恥ずかしい存在」なのだと疑いもなく信じていたのです。人に言えないようなことを抱えている私は恥ずかしいのだと、あってはならない存在なのだと、そう思っていたのでした。

 こうやって古書のような匂いがする過去を思い返していると、私の劣等感や自己肯定感の低さとは結局他者に理解されないことが積み重なったせいなんじゃないのかな、という気がしてきます。そうして生まれた膿が、今でもグズグズと私を苛んでいる。だから、やっぱり苦しいままなんだろう、と思います。

 とはいえ、劣等感や自己肯定感の無さに死にたくなる日々が全く変化していないのかと言われれば決してそうではなく、今現在はそういう、「わかって欲しい、でもどうせわかってもらえないだろう」という捻くれた考え方は、少し変わってきたように感じています。詳細は省きますが、去年から始まった真新しい環境に身をおいた結果として、私は久方ぶりに「自信」を手に入れました。これが、私の基本的な考え方が変わった大きな理由です。「自分は自分で、それでいいのだ」と心から宣言できるようになった、要は「私は私の存在を疑いようもなく信じられる」と言えるようになったのでした。私は私の「核」に自信を持てるようになったのです。そのおかげか、前ほど醜い自分について思い悩むことは減りました。まぁ、あくまで体感としてですが。

 自分に自信が持てるようになった、自分だって捨てたもんじゃないなと思えるようになったとはいえ、それでも不安な夜は巡ってきます。劣等感も惨めさも「恥ずかしい存在としての自己」も、何度でも蘇ってきます。失敗と間違いを繰り返す自分を責めて、「苦しめ」と言ってくる。そういう夜も、やっぱりまだあります。育った根はなかなか深いものです。

 それでも、私は生きていこうと思います。他ならぬ私がそうしたいと思ったのだから、明確な理由も見通しの良い将来もないけれど、それでも生きていこうと思ったのだから、私はそうしようと思っています。

 本当に「超私的な日記」としか言いようがないほど脈絡も趣旨もないような話をしていましたが、ここらへんで終わります。

 

 

 あ、そういえば、最近ツイッターを再開しました。ここで名乗っているのと同じ名前「楢ういの」で男二人についての益もない話を延々としております。完全壁打ち目的だけど、飽きるまでは続けてみようかと思います。最近はHiGH&LOWの話ばかりしていますが(あんスタは通信制限がかかったせいで今回のイベントは全く追えていません)、もし見かけたらよろしくしてもらえると嬉しいです。楢ういのでした。

学生時代の友人と会って話をしてきました

 一昨日、友だちと会っていろんな話をしてきました。お互いの近況であったり、趣味のことであったり、とにかく、多くのことを互いに話して聞かせ合いました。

 長い長い会話のなかで、私たちは過去の話をたくさんしました。これからの話は、全体の割合からしてみれば、それほど話さなかったと思います。それは、お互いがお互いの過去を全く知らなかったからです。何をしていたのか、何が身の回りで起きたのか。私たちには知りようのないことでした。だから、たくさん話をしました。お互いの知らない過去を埋めるために、私たちは飽きることなく話し続けました。

 長く多量な話題のうちの一つとして、私は、人生で何度目かの「極めて私的な話」を彼女にしました。「極めて私的な話」とはつまり、私のセクシュアリティについて、性的指向について、私の趣味についてです。それらは全て私が大切に守ってきたものでした。彼女が受け止めてくれるのか、実際のところ私にはわかりませんでしたが、それでも私は彼女に話しました。不安は、少しもありませんでした。だって、伝えてもきっと「大丈夫」だと思っていたから。彼女なら「大丈夫」だと、私は話し出すその直前まで、そして話が終わってからも、ずっと思っていたのです。だから私は嘘偽りなく、自分の話をしました。

 話を聞いた彼女の反応は、実に「普通」でした。何の驚きもなく、何の動揺もないように、私には見えました。それを見とめてから、やはり私の判断は間違っていなかったのだと思いました。

 受け止めて欲しい、と思ったわけではありませんでした。ただ、「否定しないで欲しい、知ったかぶりをして私のことをわかろうとしないで欲しい」とだけ、私は望んでいました。かくして、私の望みはその通りになりました。彼女はいつも通りでした。今まで会って話をしてきたときと変わらない様子で、私の話に耳を傾けてくれました。それが私には、すごく、すごく嬉しいことでした。

 勿論、私は彼女がそういう人間ではないと確信していたし、信用もしていました。だから、彼女が私の話に過剰な反応をしなかったことに対しては、それほど驚きませんでした。でも、自分の話をして、改めて彼女が「そういう人ではない」と確認できたことで、ほっとしたし、安心した部分はきっとありました。ああ、彼女が好きだなぁと私はしみじみ思いました。

 またいつか――それはきっと遠くはないのだと思いますが――彼女に会える日が楽しみで仕方ありません。いろんな話をしたいと思います。

片付けたら、伽藍堂になった

 思い出したように、掃除をしていました。何もかもをすっかりと、そっくりと、綺麗にしていました。汚い雑巾を何度も絞って、汚い水を何度も洗い流して、クローゼットの中、テーブルの裏表、デスクの角、冷蔵庫の上部、いろんなところを拭いて綺麗にしていました。

 ところで、私は今週に引っ越しをします。もうずっと前から決めていたことでした。そうして、長かった独り暮らしが今、終わりを告げようとしています。何でしょうかね、この気持ちは。浮足立っている感覚がします。ひょっとすると、寂しいのかもしれません、多分、きっと。でも、あまりそうだと言える自信もないのです。だって、寂しいと思えるほど今住んでいる土地に対する強い愛着があるわけでもないですから。こちらでの生活は決して楽しいだけではありませんでしたし、辛いことも楽しいことも同程度あったし、つまらないこと遣る瀬無いこと、どうしたって届かないこと、たくさんの出来事がありましたから、そのどれもを全部取り出して来て比較検討するなんてちょっと無理があるんじゃないかと思います。

 どう言えばいいのか、無心で掃除をしていたときには決してこんなことを思わなかったのに、何もない、がらんとした部屋を見ていると、心臓の近くがざわざわする。そんな感覚があるのです。

 それはそれとして引っ越しの準備ですが、もとから衣服を除いて荷物はそれほど多くはなかったので、荷物をまとめる作業自体はそれほど苦でもなんでもありませんでした。ただ、片づけをやっていてひと段落したときに、「ああ、私はここからいなくなるんだな、消えてしまうんだな」とぼやっとした気持ちで、そう思いました。おかしな気分です、ずっと住んでいた私の家が、もうすぐそうじゃない場所へと移り変わってしまうなんて。そして私の知らない、知りようもないような誰かがこの部屋に新しく住むことになるなんて、本当に不思議なこころもちです。

 私は、遠い所でずっと独りで暮らしていました。それは私の心から望みでもありました。昔から、故郷から離れたくて仕方ありませんでした。あそこに戻りたくない、どこか遠い所へいきたい、誰も私のことなんて知らない場所へ行きたい、とそう思っていました。おとぎ話が好きだったんです、そういう、どこか知らない世界へ出かけていって、冒険をして、新しい出会いを得て、そして、幸せな結末、笑顔でハッピーエンドを迎えるような、そんなありきたりなおとぎ話が、私は好きでした。だからというわけではないですが、高校は隣の市の私立高へ、卒業後は地元から遠く離れた関東のとある大学へと、どんどんどんどん、故郷と呼ばれる地から離れていきました。そして、最後はもっと、ずっと遠くの地へと、出かけて行きました。おとぎ話のように、どこか遠い場所へ、行ったことも見たこともないような場所まで行って、私は私の生活を始めました。

 まぁ、そうは言っても私の人生はおとぎ話のように出来ているわけではなく、だからこそ私はまた地元へと舞い戻ろうとしています。遠い場所へと旅に出た主人公は故郷へ戻って「ハッピーエンド」を迎えたり、あるいは異国に安息の地を得て永住を決めたり、と何らかの決断をめでたしめでたしとなりますが、私はおとぎ話の主人公ではありません。ですから、いつ「ハッピーエンド」を迎えるのかは知りようがありませんし、そもそも「ハッピー」な「エンディング」が本当にやって来るのかすら、知りようがありません。正直な話、故郷に戻ったところで「幸せ」にはなれないと私はもう十分解っているので、すぐにまた違う場所へと旅立つものと思われます。

 夢物語のようにはならないのが、現実の、私たちが生きる人生なんじゃないかと思います。

 でも、私は、私の場合に限る話ですが、ともかく、生きてみようかな、と思っています。今いる場所に長く住んで、漠然とですが、そう思えるようになりました。新しい環境に身を置いて良かったことの一つは、こういうふうに「まぁとりあえず生きてみようか」と自然と思えるようになったことです。こんなことを言いつつ、精神が不安定になるとすぐに泣き言を言ってしまうことも多々あるのですが、ともかく「生きていこう」という、恐らくはかなり前向きなこの気持ちを持つことができたこと、そしてそれが今を生きている私の動力になっていることが、素直に喜ばしいです。

 これさえあれば生きていける、というものはいまだ見つかっていませんが、「まぁなんとかなるかな、生きていれば」という根拠も何もない自信を手に入れられたのは良かったと思っています。例え、ときには投げ出してしまいそうになり、またあるときには真逆の強迫観念で自らを奮い立たせるようなことがあるとしても、それでも、基本姿勢として「まぁとりあえず生きていこう」と思えている自分の状態が、私はそんなに嫌いではありません。「固い決意」、というほど大それたものではないこの思いですが、それでも大事に、大事にしていきたいです。

 あんスタのことを考えるとすぐに辛くなる毎日をおくっていますが、それでもぼちぼち生きていこうと思います。生きて、精一杯頭を使っていきたいですし、頑張って推しの人生について考えていきたいです。

いよいよ今日からです


RADWIMPS 前前前世 (movie ver.) MV

 

 昨日からずっと延々とリピートしています。とても好みです。RADはそこまで詳しくないんですけど、学生時代RADが好きだった友達にアルバムを貸してもらって聞いたことがあるので、何曲かは知っているくらいの知識でまた聞き始めました。知ってるうち好きだったのは、『おしゃかしゃま』とか『オーダーメイド』、『君と羊と青』、『有心論』などなど……有名どころの曲は曲調がまず好みですね。歌詞は、総じて好きな部類なんですけど、ときどき納得できないというか、「それはあんまり同意できないな」と思うこともあるのですが……。

 ともかく、この曲です、そう、『前前前世』。映画『君の名は。』の主題歌だそうで、来月時間があったら身に行こうかなと思うほどには好い曲です。ぜひみんな聞いてみてほしい。

 

 さて、今日のブログの本題は実は『前前前世』ではなくて、今日から始まるあんさんぶるスターズ!のイベントの話なんですよね……。もうね、しんどい、待つのがしんどいからいっそ早く止めを刺してほしい。

 なぜまだ始まってもいないイベントのことを考えてこんなに気鬱が激しいのかというと、イベントにほぼ確定で私の担当と好きな男が出てくるからです。私の担当と好きな男の話は長くなるので、元気があったらまた今度するとして、とりあえずキャラ名だけ明かしておきますね。私のあんさんぶるスターズ!における担当キャラは天祥院英智くんで、好きなキャラが日々樹渉です。はい、この二人が確定で出てくるイベントが今回の新イベントです。もう駄目だよ辛い。この字面並べるのが辛い。

 で、今回のイベント『追憶*集いし三人の魔法使い』なんですけど、私の担当と好きな男が、ストーリーに登場するんですよ……はぁ~~辛いなぁ……。ちょうど学院内の抗争時期の話になると思われるので、辛くないわけがないんですよ。

 それは一体どのような話なのか、ということで、以下ストーリーのあらすじを引用しますね。

 

 春、【DDD】を終えて数日、『Switch』が校内でドリフェスを行おうとしていた。できたてのユニットに英智はちょうど一年前の出来事を思い出す。

 

 一応言っておくと、私はまだあんスタを始めたばかりの新参で、詳しいストーリーはちゃんと全部は終えていない、調べて確認できた知識のみで認識している部分も多々あるんですけど、それでもこのイベントが辛いのはわかる、わかるんですよ……。そもそも私の担当が絡んでくる話は大体辛いのは既にサーカスイベントを見たときに知ったことなので、はい……。

 とにかくガタガタいっても仕方がないし、今はガタガタ言えるだけのデータも手元にないので、大人しくイベント開始を待とうと思います……。イベント回収し終わったら多分何かを書くと思います。

 では。

帰宅

 長い旅行から帰ってきました。文章について、物語について、男二人について、考えながら旅行をしていました。BLが好き、というよりも、もはやフィクションの男二人を考えずにはいられないようになってしまったなぁと、旅行中そんな感慨に耽ることがたびたびありました。もはやただの習慣なんでしょうね。フィクションを考えること、キャラメイクをすること、そういう一つ一つが、私の習慣なのだと思います。

 

 旅行をして何かが変わるかもしれない、と少し期待していましたが、実感としては何一つ変わったと感じることはありませんでした。ただ、旅行はひどく楽しかったです、本当に。楽しかった、自由だった。一人で旅することがこんなに自由でこんなに楽しいということ。それが私にとっては非常に価値のある気づきになりました。

 旅先でいくつかトラブルもありました。そのたび、自分の「手札」でなんとか足掻いて、そして切り抜けていきました。そういう体験ができたことが私にはひどく嬉しかったです。ああ、自分はトラブルに遭遇したとき、対処できるだけの「力」が「知恵」が、ちゃんとあったのだと、知ることができたからです。「何もできない、なんてことはない」と、しっかりとかたちを持った「実感」を、また一つ手にすることができたからです。

 もうすぐ自分の生活環境が一新します。まぁもうすぐ、というか来週からなんですけど。今後のことを考えて、不安にならないときはありません、いつだって不安で不安でどうしようと泣きたくなります。でも、そんなときに「なんとか一人でも生きられるようだ」というこの確信が、今確かに信じられるこれが、きっと私を助けてくれるのだろうと思います。

 変わっても生きていられる、と胸を張って言いたい。前向きには生きられなくても、でも、こういう生き方でもいいんだと、思えます。日によって左右される感情の揺れですが、ともかく、今日このときは、そう思えるのです。そして私はそれを嬉しいと感じています。

 

 ところで、明日からあんスタで自分の担当が登場するイベントが始まるので戦々恐々としています。イベントストーリーのなかで、一体どんな英智くんの一面が明かされるのか、恐ろしくてドキドキしています。ドキドキ、というか不安で不安で胃がムカムカしています……担当に精神的に殺されるのかもしれない……どうしよう……。

 

 一週間まともな文章、例えばブログの文章だとか物語の文章だとかを書かないで過ごしてしまったので、感覚を取り戻すため、今日からまた「書く」という作業をやっていきます。本当にこうして文章を練るのが久しぶりで、つらつらとしたことを気分のままに書いているだけですが、文章を打っていると自分の日常が戻ってきたようでほっとした気持ちになります。長い間留守にしていたけれど、やっと帰ってきたのだという感じがします。そうです、私は帰ってきました。日常に戻ってきました。

ものを買うこと、衣食住を満たすこと

 昨日服を買いました、ほとんど1年半ぶりに新しい服、というかもっと具体的に言えばトップスを買いました。ちょっと感慨深いです。

 なぜ今まで1年半もの間新しい服を購入しなかったのかというと、自分の置かれた環境としてどうしても「新しいものを増やしにくい」場所に今暮らしているからでした。本音を言えば、できることならもう少し我慢して、買わずに済ませてしまいたいとさえ思っていました。

 じゃあ、なぜそういう状況なのに新しい服を買ったのか、と言われれば、「それが必要だったから」です。というのも、実は私は来週から長期(具体的には1週間ほどかけて)旅行に行く予定なので、そのために必要な衣服を揃える必要があったんです。あれだ、1週間絶えられるだけの服を持っていないの致命的すぎるなと反省したよ……何しているんだろうなとはたびたび思いましたが、まぁ余談です。随分と状況は変わったよなぁと少し冷めた目で見てしまう自分がいます。だって、昔は持ちすぎるほど持っていたのに。今では質素倹約ばかりを気にして生きているような気がします。それがそんなに嫌いというわけではないのですが。

 ともかく、がっつりと服を買いに行ったのは1年半ぶりのことでした。本当は、仕事を初めてから1度ジーパンを数着買ったりしたのですが、それは嗜好としてではなくあくまで仕事のためでした。なので、今回の買い物とはちょっと意味合いが異なるだろうと私は思っています。

 それで、今回の買い物ではトップスを重点的に選んで買いました。向かった先は徒歩20分ちょっとで着くような都市の中心街ではなくて、ちょっとだけ遠出をして、それなりに大きなショッピングモールまで足を運びました。そこで数多あるショップを見て回り、超安価なトップスを数着購入し、私の買い物は終了しました。

 買い物を始めたときは、正直自分の好みなどあまり考えてはいませんでした。とにかくいますぐに新しい服が要る、なんでもいいから安いものを買ってしまおう、貯金も少ないことだし。そう思ってはじめの数着を選びました。それが二日前のことでした。

 で、昨日なんですけど、実はまた同じショッピングモールまで出かけていました。ええ、同じショッピングモールにそれなりの交通費出して行ってきましたよ。え、なぜ同じショッピングモールに行ったの、という疑問にお答えしますね。店員が無断持ち出し禁止用のマグネットを外し忘れたからです!!!! 私だって袋から取り出したときびっくりしたし、どういうことだよと思ったわ。まぁそれはいいとして、いやよくはないんだけど、とにもかくにもそんなわけでまた同じ店に出かけました。二度手間です、まごうことなき。でも、そう悪いことばかりでもなかったんですけれど。

 そういった事情から、私は昨日また買い物に出かけました。正直、行くまでは楽しみよりも面倒な気持ちの方が強かったです。だるいなぁとぼやいていました。そうして、2日前に行った同じショッピングモールに出かけて、2日前にも足を運んだ見覚えのある店までたどり着き、2日前も見たよなという店員に事情を説明して、購入した服のマグネットを取ってもらいました。そして、ああ、今日の任務完了だなと思ってほっとしました。そんなときでした。私はとあるお店に目をとめました。

 あれ、こんな店昨日見たかな、とそのときの私は思いました。2日前、このショッピングモールであれだけ歩き回ったのに、私はなぜかそのお店だけを見落としていたのでした。真っ先に目が言ったのは価格帯。店頭に並べられたトップスの価格表示を見てすぐにここは安いと思いました。値段の安さが私を引きつけました。そして何よりも魅力的だったのは、お店の服のデザインが総じてかわいかったことでした。いや、本当にかわいかった。それで、ああ、私の好きなタイプの服を取り扱っているお店なんだとわかると、もう足は止まりませんでした。迷わず店内へと入っていき、服を見て回りました。

 私の任務は終わっているのだから余計な服を買う必要などなかったはずでした。でも、そのときの私はただただ自分の好きな服を見て回りたかった、これという服を選びたかった。不思議な心地がしていました。そのときまではちょっとした遠出で些か疲れており、服選びなんて楽しいとも思えないしむしろ自分を疲れさせる要因の一つでしかないのだと思っていました。それに、私は昔から自分を着飾ることがあまり好きではありませんでした。なぜなら、「服を買う」という体験にあまりいい思い出がないからでした。

 幼いころ、私は母親とよく服を買いに行っていました。うちの家計は全て母の収入で持っているようなところだったので、母親、というかもっというと母親の財布がないと何も買えなかったようなおうちでした。そんな事情のせいか、私は実家に住んでいたころ、「服が欲しい」と能動的に思うことはあまりなく、いつも「そろそろ新しい服必要なんじゃない?」という母の言葉があって、「そうだね、そろそろ必要かもね」となってから動き出していました。無駄なものは必要ないと常日頃言うような母親で、私は無邪気にそんなもんだと全てを鵜呑みにしていました。で、やっぱりそういう昔からの癖ってなかなか抜けないものなんだなぁと思います。今でも、こうしてぎりぎりになって「必要だろ! 動け! 死ぬぞ!」と発破をかけないと私はなかなか動き出せません。自分をあやしたり宥めたり叱ったりしながら、もう少しいい塩梅にしたいとは思っているし、多分今後5年ぐらいの人生目標の一つとしておきたいので、そのうち傾向と対策を練りたいと思っております。

 そうして私は、「余計な服」を買いに行く必要のないお店へと入りました。そこにはかわいいがあふれていました。自分は個人的にドットやストライプのデザインが好きで、色合いもクリーム色とか紺色とか、服ならそういう系統の色味を好んで買う人間です。そして、そのお店には自分の好みの服ばかりが売られていた。感激した、ああ、凄いと。凄い、大体全部好きだ、好みだ、しかも手頃な値段、私でも手が出せる、嬉しい、最高じゃねぇか。そういう夢見るような気持ちで服を見て回っていました。

 それから30分後に、そのお店で私は1着だけ服を買いました。買う必要なんてないのになと、だけど私が好きで好ましくてまぁこれなら旅行でも着れるだろうと思って、1着だけ服を買いました。「それいらないんじゃない? また必要ないもの買って」と誰かが言ったような気がしますが、あんたには関係ないことだよ、とそのときの私は言えたので大丈夫でした。私は、ちゃんと、自分の意思で、自分のお金で、「自分の好きなもの」を手にできたのでした。ブログ記事を書くため今室内でキーボードを叩きながらそのときのことを思い返しているんですけど、しみじみ良かったなぁと思います。私はその経験が愛おしくて堪らないくらいです。

 とまぁ、昨日はそんな小さな喜びを感じることができた一日でした。でも割とへろへろしていました。本当に体力ないな、ほんとにこれで旅行行くのか本気か、と毎日のように思っています。うるさい、行くったら行くんだ、だってもう全部予約しちゃったじゃん、と必死に脳内の自分と戦っています。仕方ないじゃん……。

 まだ旅行の準備ちゃんとできてないんですけど、2日後には旅行を始めます。だいぶ遠いところに、一人で出かけます。楽しみで、やっぱりちょっと怖いし不安です。